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大阪地方裁判所 平成元年(ワ)1980号 判決 1991年2月26日

本訴原告(反訴被告)

田口利子

右訴訟代理人弁護士

藤木邦顕

本訴被告(反訴原告)

三栄珈琲株式会社

右代表者代表取締役

金安正昭

右訴訟代理人弁護士

辻公雄

市川智

主文

一  本訴被告(反訴原告)は、本訴原告(反訴被告)に対し、金六五万九八二七円及びこれに対する平成元年三月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  本訴原告(反訴被告)のその余の請求を棄却する。

三  反訴被告(本訴原告)は、反訴原告(本訴被告)に対し、金三四万六七五〇円及びこれに対する平成元年二月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  訴訟費用は本訴、反訴を通じてこれを三分し、その二を本訴原告(反訴被告)の負担とし、その余は本訴被告(反訴原告)の負担とする。

五  この判決は第一項、第三項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  本訴請求

1  本訴被告(反訴原告―以下、被告という。)は、本訴原告(反訴被告―以下、原告という。)に対し、金一一三万四六三三円及びこれに対する平成元年三月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  反訴請求

1  主文第三項と同旨

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二事案の概要及び争点

一  事案の概要(証拠番号を摘示した以外の事実は当事者間に争いがない。)

1  被告は、珈琲豆、喫茶材料の卸売業及び喫茶店の経営を業務とする会社である。

原告は、昭和六一年一一月二〇日被告に採用され、同年一一月二七日から平成元年二月八日まで被告が経営する喫茶店「伽羅」(<住所略>)において稼働してきた。

2  原告の給与は毎月二〇日締めである。その内訳は、昭和六二年一月分から同六二年一二月分までは、基本給一一万円、責任手当一万円、皆勤手当三万円、住宅手当一万円、家族手当六〇〇〇円、通勤手当一万八二一〇円及び歩合給であり、同六二年一二月分から基本給が一二万円に、同六三年一二月分から基本給が一三万円に昇給した(なお、平成元年一月の通勤手当支給額は一万八九七〇円であった。)このほか、原告は、昭和六二年七月、同年一二月、同六三年七月に基本給の一・五か月分相当額を、同年一二月に基本給の二か月分を賞与として支給された(<証拠略>)。

3  原告につき定められた労基法三七条所定の「通常の労働時間」は月二〇〇時間であり、割増賃金の基礎となる賃金は2項の基本給、責任手当、皆勤手当を合計したものである。

したがって、右事実に基づき計算すると、割増賃金の時間単価は、昭和六二年二月分から同年一一月分までは金九三七円(円未満切捨―以下同様)、同年一二月分から昭和六三年一一月分までは金一〇〇〇円、同年一二月分から平成元年二月分までは金一〇六二円となる(ただし、原告は、昭和六二年一二月分の単価を金九三七円、同六三年一二月分の単価を金一〇〇〇円として請求している。)。

4  原、被告間の雇用契約(以下、本件雇用契約という。)では、通勤手当として通勤に要する交通費の実額が支給される旨が定められており、原告は、昭和六二年一月分から平成元年一月分まで、訴状肩書住所地から「伽羅」までの交通費実額の支給を受けていた(<証拠略>)。

5  原告は、昭和六二年六月四日から平成元年七月五日ころまで「伽羅」近くの<証拠略>(以下、本件マンションという。)を賃借した(<証拠略>)。

二  争点

(本訴請求について)

1 原告が、昭和六二年二月分(同年一月二一日から二月二〇日まで)から平成元年二月分(同年一月二一日から二月八日まで)までの間に「伽羅」で就労した時間数は何時間となるか。

原告は、右就労時間のうち一日八時間(休憩時間を含めて九時間)を越える時間の各月分の合計が別表のとおりであるとして、その部分の割増賃金の合計金一一三万四六三三円を請求する。

2 仮に、原告が「伽羅」において一日八時間を越えて就労していたことが認定できるとして、その超過部分は時間外労働といえるか。

(1) 原告の主張

労基法三二条にいう「労働させ」とは、単に使用者が労働者にこれを指令したり依頼したりする場合に限らず、労働者からの申出によって労働を許可した場合はもとより、これを黙認した場合をも含むと解すべきである。本件においても、被告は、原告に対し、勤務時間(すなわち「伽羅」の開店時間)につき黙示の指示をなし又は少なくとも原告の時間外労働を黙認していた。したがって、原告の「伽羅」における就労時間が八時間を越えた場合はそのすべてにつき時間外労働として割増賃金が支払われるべきである。

(2) 被告の反論

原告の「伽羅」における労働は、被告の指揮命令下で行われたものではなく、原告の自由裁量に任されていた。そのうえ、原告にはパート従業員を採用し、これを指揮する権限すら与えられていたのであるから、これを使って自らの労働時間を自由に調節できる立場にあった。したがって、仮に八時間以上労働したとしても時間外労働に該当しない。

3 原告が、労基法四一条二項に定める「事業の種類にかかわらず監督若しくは管理の地位にある者」に該当するか。

(1) 被告の主張

原告は、被告会社の一業務部門である「伽羅」の責任者として採用され、同店舗の経営方針の決定に参画し、パート店員の採否等の労務管理上の指揮権限も有していた。また、出勤、退勤時刻についても、喫茶店という営業の性格上ある程度の規制は受けるが、パート店員を使う等してそれを自由に裁量できる立場にあった。したがって、原告は、「監督若しくは管理の地位にある者」に該当する。

(2) 原告の反論

原告は、「伽羅」の店員として被告に雇用されたものであり、パートの採用についても、時給五〇〇円から六〇〇円という枠を与えられていた。また、被告は、原告に対し、売り上げの指示をなし、かつ、昭和六二年一一月以降はタイムカードを導入して原告に記載を求め、毎月これを回収して時間管理を行っていた。したがって、原告は、到底「監督若しくは管理の立場にある者」とはいえない。

(反訴請求について)

原告が被告から支給された昭和六二年七月分から平成元年一月分までの通勤手当は不当利得となるか。

1 被告の主張

本件雇用契約では、通勤手当は交通費の実費を支給することが定められていた。原告は、昭和六二年六月七日ころから退社するまでの間本件マンションを賃借し、同室から「伽羅」に通勤していたので、通勤のための交通費は不要であった。しかるに、原告は、昭和六二年七月分(同年六月二一月から七月二〇日まで)から平成元年一月分(昭和六三年一二月二一日から平成元年一月二〇日まで)までの通勤手当を受給した。したがって、原告は、右通勤手当の総額金三四万六七五〇円を法律上の原因なくして被告の損失により利得したものというべきである。

2 原告の反論

原告は、被告に勤務している期間を通じて生活の本拠を訴状肩書住所地から移転したことはない。本件マンションを賃借したのは、「伽羅」を午前七時に開店するため、前夜から泊まり込む場所を確保するためである。したがって、本件マンションを賃借した後も生活の本拠地から「伽羅」への通勤費用は変更されていない。

第三争点に対する判断

(本訴請求に対する判断)

一  争点1及び2について

1 原告が「伽羅」で就労した時間の認定方法について考える。

原告は、就労時間の計算根拠として、昭和六二年二月から同年一〇月分までは原告本人の供述を、同年一一月分から平成元年二月分まではこれに加えて本件で乙号証として提出されてたタイムカード(<証拠略>)の記載を挙げる。

(1) そこで、まず、本件でタイムカードの記載を就労時間算定の根拠とすることの当否につき検討する。

被告は、昭和六二年二月ころから、原告に対し、タイムカードを記入する旨を指示したが、これにより原告の就労時間を管理する意図はなく、せいぜい皆勤手当名目の手当を支給するかどうかの目処とするためのものにすぎなかったこと、したがって、原告に用紙を支給し、これに出勤、退勤時間を手書きさせ、毎月二〇日すぎにまとめてこれを提出させており、この記載をチェックしたりすることは原則としてなかったこと、原告がタイムカードに記載したのは出勤、退勤時刻であり、就労開始時間ではなかったこと(原告、被告代表者本人)、さらに、原告は、昭和六二年六月に本件マンションを賃借して以後は、「伽羅」の開店中に私用で本件マンションに帰宅するようになり、特に同年一一月ころから同六三年二、三月ころまでの間は森田貞子が勤務している時間(午前九時三〇分から午後三時三〇分まで)は午後〇時ころから一時ころまでの忙しい時間を除いては本件マンションに帰っていたことが認められる(<証拠略>)にもかかわらず、タイムカードの該当部分(<証拠略>)には若干の回数の早退等が記載されているのみである等その記載の信用性に疑いがあることからすると、本件では、タイムカードの記載を前提として原告の就労時間を確定することはできないというべきである。

(2) 次に原告本人の証言につき検討する。

原告は、昭和六二年六月四日つまり本件マンションを賃借する以前は、午前七時に「伽羅」に出勤し午後五時三〇分に閉店していたこと、本件マンションを賃借して以後は、出勤時刻が午前六時になったこと(ただし、いずれも土曜日は午後三時三〇分閉店)、これを前提にすると昭和六二年五月末までの時間外労働時間は月曜日から金曜日まで各一時間であり、同年六月から平成元年一月までのそれは原則として二時間三〇分である旨を供述する。

しかし、出勤時刻に関する右供述は、これを裏付ける証拠がないのみならず、本件で出勤時刻がすなわち就労開始時刻となると認めるに足りる証拠はないこと(原告は開店準備に一時間余りが必要であった旨供述するが、右供述は、証人森田貞子の三〇分もあれば十分であるとの証言に照らして措信できない。)、さらに、原告が供述する時間外労働時間は原告自らが作成し、本件訴状における請求の根拠とした「労働基準法時間外割増賃金請求」と題する書面(<証拠略>右書面上では、毎月一日から末日までの割増賃金を一月分として計算しており、変更後の請求が被告の賃金支払方法に合わせて二〇日締めで計算しているのとは異なっている。)に記載されている時間外労働時間とすら不一致であることからすると、原告の前記供述に基づき原告の就労時間を確定することもできないというべきである。

(3) そこで、考えるに、「伽羅」の開、閉店時間は、営業開始から遅くとも昭和六二年六月二〇日までは午前七時四〇分から午後五時三〇分であり、翌二一日以降は午前七時から午後五時三〇分であったこと(ただし、土曜日の閉店時間は午後三時三〇分)、開店までの準備として三〇分間の労働が必要であったこと、一日の休憩時間が一時間であったこと(人証略)、原告自らが昭和六二年五月三一日まで(これは開店時間が早くなるまでの趣旨と解せられる。)の間の時間外労働時間を一日一時間(ただし、土曜日を除く。)として請求していること(<証拠略>)からすると、原告の就労時間は、特別休日、早退、私用外出等の特段の事情がない限り昭和六二年六月二〇日までは土曜日を除いて一日九時間であり、翌二一日以降は一日一〇時間と認めるのが相当である。

2 右で認定した算定方法に基づき、以下原告の就労時間を認定する。

(1) 「伽羅」の土曜日を除く開店日数は、別紙割増賃金表(略)(以下、賃金表という。)開店日数欄記載のとおりである(<証拠略>)。

(2) 原告は、昭和六二年一一月ころから同六三年二、三月ころまで少なくとも二時間以上の私用外出を行った(人証略)。したがって、昭和六二年一一月分から翌六三年三月分までの一日の就労時間は八時間を越えたとは認められない。

(3) タイムカードによると、原告は、賃金表早退等時間欄記載のとおり早退等を行ったことが認められる(<証拠略>)。

(4) 以上によって認定した原告の各月の就労時間から一日八時間を控除した時間数が、賃金表時間外労働時間欄の時間数となる。

3 そこで、原告の就労時間が一日八時間を越えた場合その超過部分が時間外労働といえるか否かにつき考える。

(1) 労働者が使用者の業務に従事した場合であっても、それが全く使用者の関与なしに労働者の独自の判断で行われた場合にはこれを労基法が規制する労働時間ということはできないと解するのが相当である。

(2) そこで、これを本件についてみるに、「伽羅」の営業時間すなわち原告の労働時間は原告自らが決定したものであることは認められる(原告本人)。しかし、そもそも、喫茶店営業という職務の性格からして、その裁量の幅は大きくないうえ、原告が営業時間を決定するについては、被告代表者から、「伽羅」の収支を赤字にすることがないように、また、前任者よりは営業成績を向上させるようにとの指示を受けていたのであり(原告本人)、その指示を実行しようとすれば、営業時間は自ずと長時間にならざるを得ないこと(原告が一日八時間しか労働しないことを前提に「伽羅」が黒字になるとの営業方法を想定するのは困難である。)、被告は原告から開店時間を何時にするかの報告を受けており、原告がこれを午前七時に繰り上げた際にもこれを了承していること(原告、被告代表者本人)からすると、2で認定した就労時間(「伽羅」の営業のためになした労働に要した時間)は、それが原告の本務たる活動であることからして、被告の黙示の指示あるいは少なくとも被告の黙認によりなされた労働として、労基法が規制する労働時間となるものと認めるのが相当である。

なお、原告にはパート従業員を採用し、これを使用する権限が与えられており、現に森田貞子を採用し、これを補助者として使用していた(原告本人)。しかし、被告との関係で店を右森田に任せ外出することまでは許容されていなかった(被告代表者本人)こと、被告は、森田の就労時間については同人のタイムカードを通じてこれを把握しており(<証拠略>)、原告と森田の勤務実態については十分認識していたものと認められることからすると、原告が前記権限を有していたことは前記認定の妨げとはならない。

(3) したがって、2で認定して就労時間のうち一日八時間を越える部分は時間外労働であることが認められる。

4 以上によれば、原告の時間外労働は、賃金表の時間外労働時間欄記載のとおりとなり、原告の請求の範囲内で計算した割増賃金の額は、同表割増賃金額欄記載のとおりとなる。

二  争点3について

1 労基法四一条二項に定める「監督若しくは管理の地位にある者」とは、同法が規制する労働時間等の枠を越えて活動することが当然とされる程度に企業経営上重要な職務と責任を有し、現実の勤務形態もその規制になじまないような立場にある者を指すと解されるから、その判断に当たっては、労働条件の決定その他労務管理について経営者と一体的な立場にあり、自己の勤務について自由裁量の権限を有し、出勤、退勤について厳格な制限を受けない地位にあるか否か等を具体的な勤務実態に即して決すべきである。

2 そこで、これを本件についてみるに、原告は、パート従業員の採用権限及びこれに対する労務指揮権限を有し、現に自らの判断で森田貞子を採用しこれを使用していたこと、売上金の管理を任されていたこと、材料の仕入、メニューの決定についてもその一部を決める権限を与えられていたこと、「伽羅」の営業時間は原告が決定したものであること、責任手当として月額金一万円を支給されていたことが認められる(<証拠略>)。

しかし、他方、原告は、「伽羅」を欠勤、早退、私用による外出する際には必ず被告に連絡しており無断で店を閉める権限は与えられていなかったこと、原告は、パート従業員の労働条件(労働時間、賃金)を決定したが、これとてもあくまで被告が許容する範囲内でのことであり、被告と一体的立場にたって行ったとまではいえないこと、営業時間についても、実際に原告が独自に決定できる余地は些少なものであったことは前記認定のとおりであること、被告は、「伽羅」の営業実績が芳しくない場合には、原告の意思とは無関係にいつでもこれを閉店できる立場にあったこと、「伽羅」は、原告及びパート従業員である森田貞子の二人で行っていた店であり、原告自らが森田を補助者として、調理、レジ係、掃除等の役務に従事していたことが認められる(原告及び被告代表者本人)のであるから、以上を併せ考えれば、原告は、いまだ労基法四一条二項にいう「監督若しくは管理の地位にある者」に該当するとまではいえない。

したがって、この点に関する被告の主張は理由がない。

三  してみると、被告は、原告に対し、割増賃金として金六五万九八二七円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな平成元年三月一七日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものというべきである。

(反訴請求に対する判断)

本件雇用契約では、通勤手当として通勤に要する交通費の実額が支給される旨が定められていたこと、原告は、昭和六二年六月四日、本件マンションを賃借したこと、以上は前記認定のとおりである。被告は、原告が右時点以降も通勤手当を支給し続けたことが不当利得になる旨主張するので、以下これにつき考える。

一  原告は、本件マンションは「伽羅」を午前七時に開店する必要から賃借したものであり、右賃借以降においても、子供二人は、訴状肩書住所地に賃借していた府営住宅で生活しており、原告も毎晩そこへ帰宅していた旨供述している(原告本人一回)。しかし、右供述は、(証拠略)、原告本人(府営住宅から通勤しても午前六時までに「伽羅」に出勤することは可能であること、原告は昭和六二年三月以降は通勤定期を購入していないこと等)及び証人森田貞子の証言に照らして措信できず、かえって、証人森田貞子の証言によれば、原告は、「伽羅」の営業とは無関係な個人的理由で本件マンションを賃借し、ここを生活の本拠とし、府営住宅には管理当番等の必要があった場合にのみ訪れていたことが認められる。

二  右事実によれば、原告は、本件マンションを賃借して以降、通勤のための交通費は不要であったにもかかわらず、これを被告に告げることなく通勤手当を受給していたことが認められる。そして、昭和六二年七月分から平成元年一月分までの通勤手当の総額が金三四万六七五〇円であることは前記認定のとおりである。

三  してみると、原告は、被告に対し、不当利得として、金三四万六七五〇円及びこれに対する弁済期経過の後である平成元年二月九日から支払済みまで年五分の割合による遅延利息を支払う義務があるものというべきである。

(裁判官 野々上友之)

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